~だがアッラーは不信仰者どもを全部、ぐるりととりかこんで逃げもかくれもさせはせぬ~ だがもしアッラーがその気になれ給えば、彼らの目も耳を一度に奪っておしまいになるぞ。まことにアッラーはいかなることも思いのままに為し給う

 

 そのカナーンの、パーの原理を詳細真実に書こうとしたら、1000ページの分厚い辞典ができてしまうほど、数多くの分析を必要とするので、現時点では不可能だ。おそらくそれは人間の世界と次元の異なる、一次元とか二次元の論理、原理で、今のところ、その詳細を全部書くと、ゆうに1000ページを必要とするので無理だ。

 

 コーランには非常に面白いフレーズがあるのでそれを紹介する。

 次に紹介するものは「コーラン」の牝牛を一節を抜粋したものであるが、今日、今現在、この宇宙で起きていること、もしくは人間の世界、悪霊にそのものが引き起こしているであろうことが、そのままに記されている。

 

信仰ある人々に出遭えば 殊勝らしく「我々は信仰する」と言い 仲間の悪魔どもだけになると「いやなにわしらは君たちの味方 一寸信者どもをからかってやっただけさ」などと言う

 彼等カナーンは、世界、日本中にいる。多くは偽信者としてもいる。彼らは主催者アッラー(私)が、最後の審判を下すとき、つまり彼らに裁きを与えるとき、一体どんな存在となるのか、コーランは明確に予言していた。

 神が彼らに報いを与えたとき、その神とは私のことなのであるが、私が彼らに報いを与えたとき、彼らは決して私に従う存在とはならない。では彼らはどうするのか。

 私が彼らに下す審判は、神が、サタンが彼らに下す審判であることを意味する。これは神と魔、火と水が一体という原理、つまり神は火水であり、神が下す審判に刃向かう、たてをつくということは、サタンに刃向かいたてを突くこととなる。従って彼等は私の下す、審判に対して絶対に逆らうことは出来ない。私が彼らに対して、お前たちはロボットだ、タヌキだ、言ったとする。「いや俺たちはタヌキではない」と主張したらどうなるのか。彼らはサタンに刃向かったこととなる。彼らは絶対にそれは出来ないのある。

 神が彼らに下す審判は絶対である。

 彼らはそのようにして神から、私から審判と裁きを下された。彼らは私の敵対者である。その彼等の行動は、まず信仰のある人々に働かけに行くというものである。

 どう働きかけるのか、自分たちは、神を信仰しているという、神に従っていますという、そういう信者の側ですよと、何処までも我々はあなたたち、信者と同じ道を歩み、進もうとしている信者ですよと。別に悪魔を信仰してませんと、言う具合に、真の信仰者に働きかけに行く。ところが彼等の実態は魔である。神の敵対者である。

 神に従い、神を信仰していると本物の信者も前でとりつくろっている彼らが、実はサタンに対してはどういう行動を取るのか。我々は神には従っていませんよと、あなたを、サタンを信仰していますと、そういう存在になるということ。

 なぜそんなおかしな存在に彼らはなってしまうのか。彼らは神の敵対者。その神が、彼等、カナーンに裁きを与えるということは、彼らは同時に神にも敵対する存在になるということである。彼らはなぜ、その神を信仰している本物の信者にそのようにとりつくる必要があるのか。つまり神にたてをつく姿そのものがそこにはあるのである。

 つまり神がカナーン人に報いを与えた、カナーン人を滅ぼすという報いである。なぜか、彼らは偽善者で、偽の信仰者である。神を本当に信仰している信者は神の子、その神の子である、子らの前で、そのような信仰のあるふりをするということは、神を冒涜し侮辱するためである。

 つまり神はカナーン人に報いを与えた、カナーン人を悪とみなしたのである。けれどもカナーン人は、その神を信仰しているものたちの前で、自分たちがその信仰しているかのごとく見せかけるということは、神は馬鹿なのじゃないか、神はおかしいのではないか、と神を侮辱しているということ。すなわち、自分たちは信仰をしているじゃないか、なのになんで神は自分たちに裁きを下すのか。お前たちの信仰している神は、間違っているじゃないか、と、その真に信仰のある信者を利用して、神を侮辱しているからなのである。なぜそういうことをしなければいけないのか、神から裁きを受けたらである。

 

 

仲間の悪魔どもだけになると「いやなにわしらは君たちの味方 一寸信者どもをからかってやっただけさ

 カナーン人は日本の宗教組織内部、問わず、どこにでもいる。偽信者であるが、神が彼らに裁きを与えた日、彼らは神に反抗するために、神を奉っているかのごとく、信者の前では装う。自分たちが信仰しているのに、何で神は裁くの?お前たちの信仰している神は、間違っているのじゃないかと、信者を利用して神に抵抗をする。

 つまり真の信者、神が創造した人間を利用して、人間を使って、その人間で神を攻撃しようという存在である。

 信仰のあるふりをして。神を奉る。では彼らがその宗教でない場所、自分達の仲間である左翼集団になったとき、悪魔どもとその偽の信者が一緒にいるときは、な~に、あの教団の信者をからかっているだけさ、俺たちは悪魔、君たちの勢力に従うよ、というようにやっているということ。

 本当に神を奉り、神を信仰したら、それらの悪魔からの勢力とは敵対し、対立するからだ。彼らから攻撃されるのが怖いからだ。本当に神を信仰したときには。

 

アッラーこそ彼らを愚弄したまうであろうぞ

 最後の審判の日、カナーンを懲らしめ、懲罰を与えるのは神である。私にはカナーン人(悪霊)の動き、彼らが何処にいて何をして何を語っているのかが、すべて観える。

 彼等のその底知れぬ低い性質、存在性、何もかもがである。彼等のその魔物とも言える、非人間性も、何もかもを知るのは私、神であり、彼らが私に敵対者として存在する以上、裁きを与えてた日にカナーン人を裁くものは人間ではない。神を冒涜し、神を侮辱する、神そのものが、カナーンを裁くのである。

 だから実際に私はカナーンのその存在性、何もかもが低い、人間にならない属性から、その真実(愚)をこの地上に暴露している。

 

そして彼等の頑な不信をまずます頑なと なし給えば 彼らはただ当てもなく うろたえ廻ることであろうよ

 そして彼らは私に刃向かえば刃向かうほど、つまり頑となして、その意地を貫こうとすればするほど、ついには、壊れた ラジコンになってしまう。

 彼らは最終的に、人間の周囲から見ても、何をしているのかわからない存在になる。右に言ったかと思ったら左に動き、何をしているのかわからない。「芯」、つまり生命、意思、選択権を、彼らが持っていないからである。自分は右にいこう、左に曲がろう、自分の意思で決められない彼らは、自分で何をしているのかもわからない、私が言う、行動が人間に属さなくなる。

 ガオォォオオ、人間の前を走っていった。?「何で走っていったのか」、?理由も原因も根拠も何もない。当てもない。ただそういうように動いただけ。なんで?理由がない、根拠がない。

 意思を持たぬ彼らは、だた原理で動くだけになってしまう。何で人間にガオォ~と言った?その人間が何かした?あなたに何か迷惑を与えた?何もない。ただ当てもなく、動き回る存在。

 理由は神に裁かれるから、その神は何処にいるのか、いない。何処にもその神はいない。けれどもそうなる存在。

 だから地上でうろたえ暴れまわっています。なぜですか?「神が自分たちを裁くんです!」人間は思う。何処にその神がいるのですか?彼らは何で暴れているのですか?わからない。

 何でうろたえているのですか?わからない。その現実も存在しないから。

 彼らはうろたえています、暴れています。うろたえる、何か自分を落としいれよう、自分に危害をもたらすような存在がいるから「うろたえる」

 では彼らがうろたえている。どこかに存在はいますかと、あなた方をそうせしめる存在が、いない。では一体彼等は何にうろたえて、何で暴れないといけないのか。「当て」も、何も存在しなくなる。わけのわからない存在。だた暴れて疾走していった、何で暴れないといけないのか、何かそこにいるのか、誰かいるのか、いない。

 ではその行動は何なんだ。なにもないということ。当てが、そうなる、その行動になる。神が、彼らを裁いているからなのである。

 

アッラーは不信仰者どもを全部、ぐるりととりかこんで逃げもかくれもさせはせぬ

 彼らは私の下す審判に対してもあらゆる抵抗をしてそこから逃れようとするだろう。私が彼らに対して、お前らは人間に化けているタヌキであるという審判と裁きを与えたとする。彼らは自分たちがタヌキでないと、言い張り、抵抗する。

 だが同じこと。彼らは、自分たちがタヌキでない、人間であることを証明しようと、毛の生えていない人体を、地上の人類の前で見せようとした。彼等の人体からは、タヌキの毛が出現してしまうのである。

 彼らは日本人の女性を姦淫しに来た、ロシア人系日本人だとう審判を私が下したとする。彼らは日本人の女性から憎まれる。日本を出たいと、でてロシアに行きたいと。彼らは船に乗って日本を逃れようと考えれば、その船は、台風で壊れてしまった。

 彼らを姦淫怪物であるという裁きを私が下した。彼らは決してそのような姿は見せぬと、黒縁めがね、スーツを着込んで、周囲の人間を欺こうとした。だか、そのズボンのチャックとベルトは自然に緩み、彼らはその下半身を大衆の前に暴露される。

 彼らはその裁きから逃れようとすればするほど、その頭上には神の力が出現し、彼等の実体と正体は暴露されるのである。

 

アッラーがその気になれ給えば、彼らの目も耳を一度に奪っておしまいになるぞ。まことにアッラーはいかなることも思いのままに為し給う

 アッラーというのはイスラム教の神の名前のことであるが、エヒーエアシエルエヒーエ、唯一絶対有力者、つまり全知全能であることを示す。

 つまり人間を馬や猿に変えることも自由自在であるし、水を火に、パソコンをコンニャクに、自由自在にこの宇宙にあるものを思いのままにする事が出来る存在である。

 だから私が、カナーン人はタヌキだ、思うと、カナーン人はタヌキになる。変わる、人体が、毛だらけになる。

 彼らの目に、目の前に美女がいても、それを猿に見せることも、何もかもが自由にできるという存在が、アラーである。

 例えば東北大震災が2000年に起きたと、アラーが思うと、地球上の日本の隅々の図書館にある書物から、何もかもがそういう記事、内容に変わってしまう。

 人間を自由自在に駆使し、例えば生き返らせることも、過去の世界にいかすことも、未来にいかすことも自在だ。

 例えば、人間がカナーン人に殺されたとする。そのカナーンに殺された人間を消すことも出来る。その人間の時間を、戻せばいいのである。その戻された人間にはその記憶も消えている。殺されたという。

 事実も変えられるし、あったこともなかったことに出来る。例えば日本は第二次世界大戦でアメリカに負けた。それは実際にあったことだ。だがそういうあったことも操作して自在に操っている。時間を戻して、戦争前に、日本とアメリカは戦争をしなかったことにすればいい。その世界にいる人間は、第二次世界大戦も何も体験していない人間となる。

 その世界にいる人間には、それまであった記憶、日本は第二次世界大戦で敗戦した、という記憶が消されてないのである。

 アラーは、人間の遺伝子の創造者、人間の記憶、遺伝子にある情報も何もかもを自由にコントロールしている。時間を戻された人間も、戻されているともわからない。

 全知全能者、アッラー、その神は、この宇宙の創造者であり、時間と、ヨコとタテと空間の創造者だ。

 従ってこの宇宙にある時も、時間も、空間も、物質も、すべてコントロールしている支配者である。

 

神がカナーンに下す、最後の裁きは 魂の消滅である

 人間の魂が、その人間の額に宿されている光で、これが神が創造した陽霊ともいえるもので、太陽エネルギーである。光である。その太陽光の「ジン」とも言えよう。これに対して、カナーンにも魂がある。その魂は偽物ではあるが、「電気」である。

 その電気エネルギーを消す、つまりカナーンの魂そのものを消すこと、これがこのたび、神がしているカナーンに対する裁きだ。

 偽物とはいえ、魂を消されたカナーン人は、悪霊として空気中に浮遊するような浮遊霊になることも、再び人体を有する地上人、カナーンとしてこの地上に生じることもない。

 

カナーン、悪霊とは、独立した陰エネルギーの増大、宇宙の水素イオンの増加によって引き起こされた

 以前、イザナギとイザナミが別れた話をしたが、宇宙にある水素は、かつて陽、つまり酸素と一体、OH-として存在した。

 そのOH-、これを陰イオンというが、それが電気帯びた水素、H+と結びつくと「水」が生じる。

 つまり水を分解すれば自ずからOH-とH+に別れ、電気を帯びるイオンが生じるということだ。

 その水が、陰であるとしよう。つまり水素そのものは陰ではない。OH-とH+が化合したときに、生じるものが水だ。そしてさらにその水が今度は火と結びつくと神となる。つまり水には酸素、つまり火の気が宿されているが、水素が2で、割合的には水素が多い。水素が酸素の倍の状態。それで水が出来ている。

 その水、つまり陰が独立して、陽から離れた、ということはHそのものが過剰になったことを意味する。Hそのものが愛欲だとしたら、陰はその愛欲が過度に発育した状態のエネルギーを指す。すなわちH2OではなくHO、もしくはH2O2であれば、陰が例え独立しても、その怪物は生じなかったのである。その怪物が生じなければ、カナーンも生じない。

 即ち結論的には、この宇宙にH2Oというものが多いのである。神であるイザナギとイザナミが夫婦で一つになっていたとき、そしてそれば分離してわかれたときに、つまりはこの宇宙にはH2O、つまり水の割合が多くなったということなのである。即ち陰というエネルギーが。

 逆に言えばその陰が陽と一体になっているということは、そこにはH2Oは、存在していない。つまり陽を単に酸素、Oだとしよう。水、H2Oと、そのOがもし一つになってくっついていたら、H2O2となり、水を構成しない。つまりそれが離れた、別れたということは、宇宙の水の割合が全体的に大きく変わった。おそらく地球上の海域、陸地よりも海の面積の方が広くなるとか、宇宙そのものにも陰気というか、水の主成分たるHという気体が大量に発生した。

 結果、宇宙にある愛欲を司るエネルギーは、増加しすぎた。そのために、陽とも分かれた上体にある陰は、過剰な愛欲を発育し、発生させ、人体の羨望が行過ぎて、以前言った、「ギャップ愛欲」、簡単に言えば異常な人間では考えもつかないような変態色欲というものが、エネルギー体として宇宙に生じた。それらは霊魂となったのである。

 

その怪物の基にある力は、その過剰な陰である

 宇宙にある陽がまことを司るものであれば、陰は偽を司る。つまり偽、悪、醜という言葉があるが、実はそれは、三つとも同じという意味ではなく、陰は本来、偽を司ったかも知れぬが、悪と醜は司っていなかった。つまり陰は本来「偽」を司るもので、悪と、醜は、司らないものである。ではなぜその陰から、悪と醜が生じたのか。悪霊と醜い女である。

 その陰の過剰にあったのだ。宇宙の陰は、もっぱら水素体、Hという元素であり、その水素にあるものは、「偽」、つまり「似せ」という力を宿した。しかしその陰が過剰になってゆくにつれて、以前述べた「ギャップ現象」が生じたのである。

 陰が過剰に人体に羨望するあまり、そのエネルギーは、怪物という「偽」を生み出し、さらにはそのギャップから、その怪物の魂まで生じた。しかしそれらの存在は「本物」には属さなかった。

 その怪物の実態も、魂も何もかもが、「偽」というエネルギーから発生しているもので、決して真、つまり神の力によって生じたものでなかった。

 従ってその「怪物」とは、その陰にある過剰な人体羨望というギャップ、その羨望エネルギーを象徴した偽の姿、イメージとして出現し、さらにはそのギャップによる作用で電気を宿す、それを魂とする、いわば偽を司る霊魂となったのである。いわゆる魔物である。

 

陰とは何か 「偽」が「真」になるとき 融合は起きる 怪物は消えうせる

 そして「陰」にあるものは「偽」である。従いその怪物にしてもカナーンにしても、一切が、「偽」が基にある。つまり彼等の行動や口から出る言動にしても、「偽」によって生じた彼らは、必ず本当のこと、真実を、欺いている存在である。即ち彼らが「おはようございます」と口にしたとしても、実は「おはようございます」じゃないのである。必ずその実態姿とは別の、本心というものが隠されている。

 つまり彼らは真実を隠しているものであり、それはその怪物についても同様であろう。つまりその怪物やカナーンの真実を知るということは、何を意味するのか。「偽」が「偽」でなくなることを意味する。

 例えばカナーン人の真実は、低いである。それがカナーンの真実だ。しかし、カナーンはそれらの真実を隠し、周囲にはその「低い」という部分を欺いている。つまりその欺きが「偽」であるが、カナーンのその欺き、つまり偽を知るということは、カナーンの真を知ることでもある。

 つまりカナーンは、真になったということなのである。偽を知るということは、その偽が真になるということだ。それが陰と陽の結合である。

 即ちその怪物に関する存在、またカナーンに対する存在、そこにあるものは「偽」、つまり「欺き」である。その欺きを知るということは、陰が真になるということ。陰が、宇宙の陽に吸収され、一体になるということなのである。

 そのようにして、宇宙の陽と一体になり、吸収されてゆく陰は、結局のところ、その過剰な陰というものを減らし、宇宙の陰そのものを減少させることにつながる。これは陰が「偽」を司っているもので、水素であるとしたら、水素イオンは、吸収されてゆくということである。あるいはOH-、陰イオン。そういうものが減少してゆく。

 その陰イオンの過剰で発生したものがその怪物である。宇宙の陰そのものが過剰でなくなれば、そのギャップエネルギーも消えてゆく。つまり過剰な愛欲、行過ぎた愛欲というエネルギーが消えてゆくことを意味する。

 そのエネルギーが沈下してゆけば、その陰から生じたという、その怪物のエネルギーも沈下してゆくのではないだろうか。つまりその怪物はその「ギャップ」という姦淫により自らの魂のエネルギーを得ている。しかしそのギャップ現象がなぜ起きるのかを考えたときに、過剰な陰エネルギー、陰があるから、そういう現象が起きるのである。その宇宙にある陰そのものの愛欲がつまり過剰行き過ぎにならなければ、陰にはそういう変態的な願望エネルギーがなくなる、その変態的な願望が、宇宙の陰エネルギーから消えれば、その怪物は、自己の電気を得ることが出来なくなるのである。

 つまりその怪物のエネルギーは電気、ギャップを司る。そのギャップこそがあらゆる邪悪の基にあるものである。人間を苦しめるのも実はその「ギャップエネルギー」である。人の思っていることとは反対のことを引き起こすとか、ショックを引き起こすとか、そういう悪、という原理の根本をなすものが、ギャップというその怪物に宿されるエネルギーである。そのエネルギーが弱くなるということは、その怪物そのものの、人を苦しめる力も、悪力も、低下してゆくということだ。

 それは地上のカナーン人にも反映されるであろう。

 

カナーン人にある人体とは何なのか

 実はここにすべての謎があるように思われてならない。カナーン人とは実は霊魂である。悪霊である。いわば幽霊である。その幽霊というものは、通常肉体を持たない。ところがカナーン人の人体をみたら、本当の人間の人体と変わらない。固体である。その固体の人体を持つのかと思えば、カナーン人そのものは幽霊である。つまり幽霊なんだけれども肉体を持った存在、非常に謎である。

 まずその人体が、そのかつて、実際にこの地上にいた人間の人体であるとする。つまりその怪物というのがいて、怪物は人体を持たない、霊魂である、その怪物が地上でいわば、近親相姦をした人間の魂を飲み込んだ、そのときにその人間は死ぬわけで、肉体だけになる。その肉体にその怪物の感情エネルギーを宿したものが、カナーンだとした。

 しかしその節にしても、やはり検討するべき矛盾はある。

 その怪物が宿したという感情エネルギーは、またその怪物の魂の分霊とも言えよう。仮に人体にその怪物の分霊、分魂というものを宿したとしても、その怪物の魂は、人間のDNAを構成しないはずだ。その怪物そのものが人類ではないからだ。ということはその人体は、遺伝子を宿さない、人間の遺伝子というものがその人間の肉体に宿るエネルギー、生命魂から生じているものだとしたら、肉体からその生命が抜ける、消えるということは、人間の血液中には、人間の人体を構成している物質をはじめとするDNAは流れなくなる。血液中からそれらのDNAが補充、生じなくなり、その人体は例えば何らかの人間と異なるエネルギーで、動くものだとしても、その人体には人間のDNAは流れてゆかない。つまり人間の人体を、維持してゆくことは不可能である。もしその怪物のエネルギーをその人体に宿して蘇生というか、動くような生命を持たないゾンビのような存在に変えたとしても、その人体は、少なくともありえるとしたら、その怪物の遺伝子、情報、つまりDNAが人体に流れて、人体もその怪物のように変化しなければいけない。

 またその怪物が、おそらく人体、人間の遺伝子などを持つような存在ではない。従ってそれだけの原理で、彼等の存在というか人体が生じているとは考えられない。つまり怪物がその人間の魂を飲んで、自己のエネルギーをその人体に宿した。つまりもしそうだとしたら、その人体は、人体を維持することは出来ない。